リキ物語 第2話 タイガー 

第2話 タイガー誕生
タイガーは猫です。シェパードのリキ物語とは関係ないと思われるかも知れませんが、いちリキ、にリキ、さんリキの三代の物語に頻繁に登場し、三匹のリキの人格(犬格)形成に多大の影響を与えた猫として、物語に登場しないわけにはいきません。徳川三代にわたって登場する春日局のような存在です。
 シャミーという名のとっても美人のシャム猫がいました。信長の妹、おいちはきっとシャミーみたいな美人だったのだろうと勝手に想像しました。その娘がタイガーです。シャミーのもとに通ってくるおっとりとしたシャム猫の雄がいました。よそさまのお家ではちゃんとした名前があったのでしょうが、あまりに大きな袋をぶらぶらとぶらさげているものですから、大きな声ではいえませんが、わが家ではキンタマニーという名前で呼ばれていたのです。タイガーたちが生まれたとき、父親もシャムだから、シャムが生まれてくるのだと思っていましたが、5匹みんな毛並みは違いました。確か、猫の子供は同時に妊娠した子供でも父親が違うことはあると聞きました。その中で最後にうまれたのがタイガーです。タイガーは、私どもの専門用語でいう新生児仮死でした。しかも胎齢に比べて小さい子宮内発育遅延です。人間の場合も、あかちゃんが複数いる場合、あとで生まれてくる子供の状態はどうしても悪くなります。子宮内での酸素や栄養の配分が悪く子宮内発育遅延になっている子供の場合はなお状態が悪くなります。タイガーはまさにこの悪条件が重なっていました。生まれたあとも泣きません。ぐったりとなんの動きも見せません。その時はトミーと二人でお産を見ていたのです。トミーは私の息子でその時小学校4年生でした。分娩後30秒ぐらいが経過しました。人間のあかちゃんでも、無呼吸でなんの反射もなく30秒経過すると危ないかも知れません。トミーが泣きそうな声で「どうしょう」といいました。実は手は出すまいと思っていたのですが、トミーの半泣き顔を見て何もしないで済ませなくなり、昔の産婆がやるように足を持って背中をたたきました。
驚いたことに、しぼるような声でワギャーと声をあげました。
 実は、あかちゃんを逆さつりにし、背中をバンバンとたたく新生児の蘇生方法は、テレビドラマなどでは今でも行われていますが、最近の臨床現場ではあまり行いません。気道の分泌物を吸引し、人工呼吸用のマスクを使うか、もしくは気管に管を入れて人工呼吸を行います。たまに、よその施設でクラッシックなトレーニングを受けた研修医が背中をバンバンやったりすると、「オイオイ、昔の産婆みたいなことするなよ」とたしなまれます。正直言って、私があえて古典的な方法で蘇生をしたのは、何かしたことをトミーに見せるためだったのかもしれません。ところが背中バンバンが見事に効果を発揮して、ワギャーだったので、やった本人が驚いてしまいました。
 タイガーの声帯にはこの時に何らかの異変が起きたようです。しばらくは声がでません。しぼりだすように小さくギューアと言います。猫のように可愛くニャオーとかミューとか鳴くことは一生ありませんでした。いつまでたってもワオーとかギャオーとかいいます。「タイガー、猫でしょ、ニャーンと言ってごらん」「ギャオー」「それじゃ豹でしょ、ニャオーと言いなさい」「ワオン」。「それじゃ犬でしょう」タイガーの豹のような、山犬のような鳴き声は一生そのままでした。
 当時わが家は新築直後です。家が予算を少々オーバーしたので、門とか塀とかがありません。しかも住宅が閑散とした山のようなところで、野犬や狐や狸がうろうろしていました。シャミー一家は台所の前の納戸の中にダンボール箱がおかれ、その中で暮らしていました。子猫たちがちょろちょろと走り回るようになったある夜中のことです。野犬の群れが襲いました。私は病院の当直で留守にしていたのですが、10匹近くの群れだったそうです。リーダーらしい犬は黒犬で首に白い鎌のような模様があったと言います。連絡を受けた私は次の日の朝、同僚に早出をお願いして見に帰りました。その時わが家にはウサギもいたのですが、どこにもいません。家の周りを探していると、シャミーの死体が見つかりました。目立った傷はありませんが、固く結んだ口が戦いのあとを残していました。こども達を守って戦って死んだようです。敏捷なシャミーでしたから、一人だったら必ず逃げおおせたはずです。子猫の死体が一匹だけ見つかりました。ウサギも残りの子猫も餌食になってしまったようです。
 腹立たしい思いで二日ほど過ごしました。その間にわが家には、木刀と子供のときによく遊んだパチンコが用意されていました。木の又に飴ゴムを結びつけ、小石やパチンコ玉を発射する装置です。犬では死ぬことはないでしょうが、かなりの衝撃を与えるはずです。
 そして、襲撃があってから二日目、積んであるタイヤの中からかすかなギュアオと変な鳴き声がしました。一番ちびでみすぼらしい、黒みがかった虎猫、そうタイガーだけが助かったのです。小さかったタイガーは襲撃事件の時、声を出さず、逃げ回らず、4本積んだタイヤの一番底でじっとしていたのです。以後、タイガーには正式にわが家の市民権が与えられました。本当はタイガーの名前が与えられたのはこれ以後のことです。
 もともと、シャム猫は野生の強い猫です。タイガーは、からだはきゃしゃなままでしたが、とても敏捷な猫に育っていきました。床から3メートルの天井近くにある棚まで一気に飛び上がります。キジバトに飛びかかるのを見たことがあります。こちらが手でじゃれさすと、完全にけんか腰になり、手の爪と足の爪と牙をつかってこちらの手に血がにじむまで攻撃を仕掛けてきます。あまりに痛いので、こちらが本気で張り飛ばすと、飛んで逃げていきました。そして、こちらが忘れてテレビを見ているころ、「すきあり」突然、攻撃を仕掛けてきます。しかもどこから来るかわかりません。時には高い所から両手の爪両足の爪を立てて降ってきます。まさに豹です。こちらが両手を挙げて「まいったまいった」をすると、「ワオ」と言って休戦してくれました。戦ったあとは、決して恨んだりするようなことはなく、鼻をすりつけたりします。さばさばとしたものです。
 この時まだリキはいません。タイガーは公園に散歩に行ったり、山にキャンプに行って鷹に狙われたり、ヨットに乗ったり、プールで泳いだり、犬のような生活をしていました。蛇をトイレのマットの下に隠したこともあります。ご近所でもとってもかわいがられました。関西では人気のある名前のおかげかもしれません。あちらこちらの家でご飯をもらっていたようです。

 2008-09-05