ハナ ジャンプ

いちリキ、から さんリキまで、そしてハナもジャンプが大得意です。でも、犬は自分ではジャンプの練習はしないとどこかの本に書いてありました。リキたちは確かにその通りで、自分でジャンプしているのは見た事がありません。しかしハナは違うようです。門の外をよその犬が通るとき、途中にあるジャンプ台を飛ぶことがあります。練習していると言うより見せびらかしている雰囲気です。 ハナ、 ジャンプ。

 

続きを読む

リキとMG

MGとはイギリス製の車です。モーリスガレージの略称で、正確に言うと車種の名前と言うより、車のメーカーの名前です。後にブリティッシュライトウェイトスポーツと呼ばれる、軽排気量のスポーツカーです。同じ仲間にオートバイメーカーが作ったトライアンフがあります。当時、イギリスのスポーツカーではオースティンヒーレーが有名でした。ビッグヒーレーと呼ばれた大排気量のスポーツカーで、庶民には高値の花だったそうです。イギリス人の貴族のお金持ちは、田舎にもお家を持っていました。お金持ちの馬屋には、馬に代わりヒーレーのようなスポーツカーが入り、馬丁は車のメンテ係になりました。今でも助手席と言う当時の名残の言葉が残っています。高値の花であったオープンスポーツカーを、若い一般庶民でも買えるように、との営業戦略から生まれた車がMGです。第二次大戦後、初めての流線型のモデルとして作られたのがMG-Aという車種です。それまでの箱形MGは、シャーシの一部やフレームにも木が使われていましたが、MG-A以降は金属製になります。しかし、床板は合板でした。

 

 

 さて、私が医学部の学生時代、MGにあこがれました。176号線服部のハナテンにベージュ色のMG-Bが置いてありました。アルバイトで貯めたお金をある程度は持っていたので、母親に打診。「アホー、こんな車に乗ってみー、どう見てもエエとこのアホボンにしか見えへん、こんな車は40すぎて、どこから見ても自分の甲斐性で買うたと思われるようになってから買い」と一蹴にされました。

 それから、二十数年の月日が流れました。渓流釣りにと買ったランドクルーザーも12年になり、ボディーが錆びて穴が開いてきました。そろそろ、買い替えですが、四輪駆動車もはやりすぎて、いやになりました。どうして、泥道用の超でかいタイヤと猛獣よけのバンパーを装備し、パワーステアリングがついてピカピカの四駆が町の中にいっぱいいるのだろう、と不思議でした。何にでも、様々な付加価値をぶら下げて高く売りつける風潮にも腹が立っていました。二十年で車の値段は3倍に膨らんでいます。

 「欲しい車がない」と思ったとき、思い出したのです。MG、充分に40は過ぎています。むしろ50に近づいていました。近所に、とっても偏った嗜好の自動車屋さんがあります。そこにはどんな古い自動車でも、必ず直してしまう大将がいます。その工場にはトライアンフTR4が時々止まっていました。彼に電話、驚いた事に1957年製MG-Aがあると言いました。排気量1500ml、一番初期型のMG-Aです。

 そのMG-Aはメキシコシティーから来たそうです。赤錆だらけの、スクラップで、フェンダーにはメキシコの砂漠の砂が大量に固まって付いていました。彼なら何とかするだろうと思ったのでしょう、その場で契約してしまいました。

 しかし、そのMG-Aのレストアが完成するのは18ヶ月後の事でした。ボディーの錆び落ちて無くなってしまった部分など、叩いた鉄板を溶接して作っていくのですから、18ヶ月は無理もありません。革製のシートなどは手縫いです。

 さて、わが家にはリキがいました。ランドクルーザーの後部は、トミーとリキが乗っても、充分なスペースがありましたが、MG-Aが来たときランドクルーザーは東南アジアのどこかの国へ行ってしまいました。そして、リキのMG乗務訓練が始まりました。

 今の車の窓は、運転者の肩の少し下あたりから開口しています。横方向からの衝突の安全性をとやかく言っている車はもっと高いところに開口部があり、まるで装甲車です。ところが、MGやトライアンフなど、いわゆるライトウェイトスポーツはロウカットウィンドウが一つの売りだったのです。トライアンフTR3など、ほとんどベルトの位置まで開口しています。まるで全身が風の中にいるようでとっても壮快です。そこに、リキが乗る訳です。もし途中で暴れたりしたら、車から飛び出してしまう事もあって当然です。

 いちリキにハーネスをつけ、リードを運転席と助手席の間にあるハンドブレーキのレバーに巻き付けました。リキが動こうとすると、リードを引き閉めます。このやり方で、ご近所をぐるぐる回り、お互いに自信ができてからヨットハーバーに向かいました。なんとか4時間、三重県五カ所のヨットハーバーに到着した時、リキも私もくたくたに疲れていました。昔の複葉機に犬を載せて飛んだら、きっと同じくらい疲れたと思います。

 さて、にリキ、子供の時からとってもお行儀がよかったので、最初からおとなしくMGに乗る事ができました。一応、ハーネスは付けてありますが、ほとんど引っ張る必要はありません。最初に「座っていなさい」それだけでじっと正座をしていました。だから、安心してヨットハーバーへ向かいました。ところが、高速道路のトンネル、音に驚いたようです。

 突然、立ち上がりました。そして、運転している私に抱きついてきたのです。まず、前が見えません。「俺たちに明日はない」の中で運転をしているポールニューマンに女の子が馬乗りになるシーンがあります。車は田舎の道を蛇行していました。状態としては似ていました。しかし、馬乗りになっているのは、スカートを捲し上げた女の子ではなくシェパードで、高速道路の時速100km、トンネルの中です。振り払うとリキを落とす事になります。片手にハンドル、片手に首輪をもって何とかトンネルの外に出ました。二つ目のトンネル、今度は緊張して進入します。ハーネスを締め、リードをハンドブレーキに掛け、「座ってなさい、じっとして、じっと、じっとーーーーーーー」。リキは目を三角にして緊張していましたが、腰を一瞬浮かしただけで、何とか二つ目のトンネルを出ました。確かに、オープンカーでのトンネルの中の騒音はスザマしい音量です。そういえば、いちリキは、車は違いますが何度も旅行をしています。だから、トンネルの音に驚く事はありませんでした。にリキにとってはMGに乗っての五カ所が初めての長距離旅行だったのです。当然、トンネルも初めての経験でした。そのうち、MGの助手席にすっかりなれ、まるでパイプをくわえた、紳士が助手席に座っているような態度で乗っていました。隣を走っているおじさんが、窓をあけ、「様になっているよ」と声をかけてくれました。

 さて、さんリキ、子供のときはMGに載せて近所を周りました。しかし、何となく居心地が悪そうです。気がつきました。さんリキは大き過ぎるのです。助手席に座ると、顔がスクリーンの上に出てしまいます。鼻に風があたって、気持ちが悪いのでしょう、首を引っ込めると、ブレーキのたびに鼻をスクリーンにぶつけます。仕方がないので、しばらくは、助手席のシートを外してリキを載せました。それも、しばらくの間だけで、リキはもっと大きくなりました。とうとう、どうしょうもなくなり、リキ用のワゴン車を中古で買うはめになりました。

 MGに乗って東京へも行きました。すっかりなれた頃の伊勢自動車道、ガクとMGのパワーが落ちました。実は、自動車屋の大将とは、「近畿圏であれば故障したときは迎えにくる事」と約束のもとにこの車を買ったのです。電話をします。「確かに、近畿圏ですけど、何とかもうちょっと近づけまへんか」と言う事になり、だましだまし、帰路につきます。道路サービスの黄色い自動車が近づいてきて、「煙が出てますよ」。安濃サービスエリアまであと3kmです。「なんとか行けるでしょう」。それから1分あまり後、大音響と黒煙がボンネットを吹き飛ばしました。

 思わず、「メーデーメーデー」と無線電話での遭難信号を叫び、高速道路横の斜面を駆け登りました。幸い火災にはならず、MGと私が自動車屋の大将に救助されたのは、8時間後の午前1時でした。エンジンは完全にお釈迦になり、2週間後、同形の中古エンジンがアメリカからFedexに乗ってやってきました。

 

 10年たって、もう一度化粧直しをされた、MGは今もすてきなお婆さんで健在です。来年には60歳です。

続きを読む

花子はスットボケ美人

美人花子はジャーマンシェパードですから、少しは番犬らしくなるのかなとある種の期待を持って眺めていました。ところが、いつまでたってもかわいらしい女の子のままです。人間に対してだけではなく、犬に対しても同じで、ご近所のミニチュアダックス君が門の前を通りかかたりすると、ベターと腹這いになり、ニコニコ笑顔で語りかけるものですから、ご近所では犬と言わず、おばさんも、お姉さんも、強面の訓練士のおじさんまで、門の前で花子の面会を請うようになってしまいました。

さて、そんな花子の訓練の開始です。ジャーマンシェパードはお仕事犬ですから、おしっこやうんちを仕事場でやってしまうと、格好がつかなくなります。ナンバーワンと言えばおしっこ、ナンバーツーと言えばうんち、お仕事に行く前に済ますよう訓練されます。花子をヨットに連れていきますと、ヨットに乗る前にちゃんと決まった場所でナンバーワンもナンバーツーも済ませておく事ができます。さすが賢いジャーマンシェパードとなるはずですが、自宅ではどうもうまく行きません。彼女が喜びを表現する時は、全身で表現します。どうもその感情表現の中におしっこをちびるという表現が含まれているようです。たまたまその時、膀胱が満タンだったりすると、もういけません、そのままジョワーと出てしまいます。花子が赤ちゃんのとき、熱湯とウエスを持って家中を這いずり回りました。花子のうれしいチビリは少し大人になった今も完全には治っていません。でも賢いジャーマンシェパードですから、うれしい事が起りそうな時、先に庭へ出て用を済ませてから驚喜をするようになってきました。私が起きて二階から降りて来た時など、彼女はそっと庭へ出ていきます。こちらも、花子が驚喜しそうな時は、庭へ出て会う事にしています。いたずらをしたり、ソファーを破ったり、花壇を掘り返したりしても、美人花子はニッコと笑顔を見せれば人はそれほど怒らない事を知っているようです。これが先代のリキですと、怒られると判ると緊張で直立不動でしたが、花子はスットボケをきめ込みます。つまり、人間の美人と同じ。赤ちゃんの時から可愛い可愛いと育つと、人も犬もスットボケになるに違いありません。花子の訓練、どうも今までとかってが違うようです。花子生後八ヶ月です。

 

続きを読む

ハナがやってきた

 

ハナは全日空でやってきました。
ANA福岡発1220分、伊丹着1335分です。
10年前リキを受け取ったのと同じ、ANA Cargoのカウンターです。場所も周りの景色も、オフィスの前に自動販売機があるのも何も変わっていません。
「子犬ちゃんですね」と受付のお兄さんがニコとしたのも
10年前といっしょ。ほとんどデジャビューです。
リキがやってきたとき、彼は震えていました。
無理もありません、突然母親や兄弟たちと離され、一人ケージに入れられて飛行機に乗せられ、さらに離陸の爆音。大の大人でも同じ目に遭わされたらかなりの恐怖です。
ほとんど誘拐テロ事件です。リキが狭いところに閉じ込められると決まってパニックに陥ったのはこの時のトラウマが原因と思っています。
リキのために買った私のワゴン車の最後部にはオプションでネットが貼られ、
お犬様専用座席にしてありますが、リキは、「嫌だ、こんなサードデッキになんか乗れるか、ファーストデッキのビジネスクラスを用意しろ」といつも騒いでいました。
さて今回の花子の場合、また震えているのかな、車で福岡まで迎えに行こうかな、など考えていました。
そして着陸から
10分後、花子の入ったケージが運ばれてきました。
覗き込むとキョトンとした目でこちらを眺めていました。車のなかでケージを開けると、
2-3回出たり入ったり、家に着く頃にはすっかりなれ、車から下ろすと庭の探検を開始です。
30分後にはおしっことでかいウンチを出しました。

やはり、女の子の態度がでかいのは犬でもいっしょだと感心しきりです。 
さて次の朝、
6時起床。いや6時起床は私であってハナはもう少し早く起きていたのかもしれません。
わが家の玄関はハナのおしっこでビショビショでした、お庭へ出て、花壇になっているリキのお墓にお参り、家の周りの庭を一周しました。最初、少しビビった階段もすぐになれました。呼べば必ず飛んできます。こうして美人花子の生涯が始まりました。

 

続きを読む

ハナは女の子

ハナは女の子です。

しかも美人です。

人間も含めて女の子を育てた経験はほとんどないので、戸惑う場面がしばしばです。

今日も、自分が寝ているマットの端をお人形のように少し丸めて、クーンクーンと優しい声を出しながら,なめていました。どこか痛いのかな、どうも違うようです。ママに甘えているというより、自分がママになり、赤ちゃんを抱いている風情です。

ハナはママになりたいのだ、と思って見ていました。しばらくして、彼女は熟睡をします。そうするとどうでしょう、赤ちゃん代わりのマットは1メートル以上放り投げてしまい、板の上で、大の字になっていました。赤ちゃんでなくて良かった。優しい所と、敏捷な野生と両方を持ったハナ、近所のセントバーナードの修平は、ハナに飛びかかったとたん、見事に投げ飛ばされヒックリ返ったそうです。

まるで、千葉道場の鬼小町です。

続きを読む

リキ物語 第4話 鼻を切られたシェパード

猫であるはずのタイガーは、とても、猫とは思えない娘に育っていきました。まず普通の家猫のように、ヒトに媚びることがありません。もちろん、お腹が空いた時は、飯をよこせと堂々と対等に要求します。しかし、冷蔵庫から、気に入らないものが出てくると、本当に猫またぎをします。冷蔵庫の臭いの移ったじゃこなどは、見向きもしません。というより、最初から、今日は「ひらめの縁側が良い」とか、「あじの開きが食べたい」とか「たまには、あっさりと長芋のたいたん」とか決めているようでした。今日はうまいものがなさそうだと判ると、自分で調達に行きます。狩りの腕前はなかなかたいしたもののようでした。
 タイガーが初めての狩りに成功した朝のことです。目をギラギラ輝かしたタイガーが小鳥をくわえて、さも得意そうに見せに来ました。わざと生かせてあります。グアオー、ばたばたする小鳥を床において、ギラリ・ニタリとこちらを見ました。サチコは「キャーやめてタイガー」と叫び、小鳥をくわえたままのタイガーの首をつまんで、玄関に閉じ込めました。しばらく物音がしていましたが、やがて玄関は静かになり、舌なめずりをしているタイガーのほかは羽とくちばしだけが散らばっていました。
 せっかく大手柄をたてて、みんなに見せに来たのに、このとき彼女のプライドは、ずいぶん傷ついたようです。
 それから、2-3日後のことです。突然、トイレの中から「ギイヤー」「イヤー」「ワアー」と、ほとんど断末魔のような悲鳴がしました。タイガーが傷ついたプライドの腹いせに、トイレのマットの下に蛇を隠しておいたのです。30cmばかりのヤマカガシです。まだモゾモゾ動いていました。
 しばらくの間、トイレのマットの下にはおよそ人間のメスが嫌うすべてのものが隠してありました。トカゲ、ヤモリ、ムカデ、ゲジゲジ、クモ、ネズミ、ジュゲムジュゲム、魑魅魍魎。タイガーはこれらのゲテモノは決して食べません。明らかに、人間のメスを怖がらせて楽しんでいたようでした。
 タイガーの野生がどんどん磨かれて行きます。犬は自分で訓練をすることはありませが、どうやら、猫は自分でトレーニングプログラムを決めて挑戦をしているようです。いちリキもさんリキもジャンプは大得意ですが、犬が一人でジャンプの練習をしているところは見たことがありません。わが家の天井の近くに、目的のよく判らない棚があります。どうも建築家がデザイン上の気まぐれで付けたようです。目的がよくわからないので、たいていは何も置かれていません。タイガーがこれに目を付けました。最初は机やソファーの上から飛び上がります。次第に踏切場所を低い所に移していきます。最後には床からダイレクトにジャンプをすることができました。3mの高さです。なぜ飛び上がるのかだれにもわかりません。どう考えても挑戦とトレーニングです。タイガーの日頃のトレーニングは完璧なサーキットトレーニングでした。走る、壁に爪を立て床に背中を滑らしたタイガー横走り、すごいスピードです。途中で高い棚までジャンプ、ヒトの手や足を獲物に見立てて攻撃。ランニング、跳び箱、鉄棒、ダッシュ、スポーツ選手のサーキットトレーニングと同じです。
 あるとき、窓から見ていると、キジバトの夫婦が庭で餌をついばんでいました。草刈りのあとには草の実がばらまかれているのでしょう。鳥たちが集まってきます。キジバトは、草の実を食べに集まってくる鳥の中では最大で、わが家の周りに生えているネズミモチに巣がけをしている夫婦です。目を移すと、その後ろ5mの刈り残しの草むらの中にタイガーが伏せていました。タイガーの毛色はブッシュの中では完全な保護色でよく見ないと気づかれません。一つの動作から次の動作まで30秒はかけて、じれったくなるぐらい、ゆっくりと慎重に、獲物に近づいて行きました。距離が2mになりました。タイガーのジャンプとキジバトが飛び立つのが同時でした。タイガーの爪がキジバトの肩甲あたりに触れたように見えました。キジバトのバランスが崩れ、羽が飛び散りました。やったーと思いましたが、そこまででした。キジバトは飛び去り、タイガーは地面に落ちました。猫が狩りに失敗した時は面白い行動をします。そこらにある石や木切れを持って、あたかもそれが獲物であるように、空中に投げたり捕まえたりします。ちょうど、お手玉をしているような光景です。どう見ても照れ隠しとしか思えません。その様子を見られていたことを知ったタイガーは、こちらの顔をじっと見ました。そして、ますます照れて、ワオーとどこかへ行ってしまいました。その後もタイガーの大物狙いは続いたようです。くちばしで突かれたのでしょう、目の上に穴があき、膿みが出ていることもありました。
 さて、タイガーのこんな最も血気盛んな時にいちリキがやってきました。タイガーにとっては、犬は親の敵です。少し心配しました。でもリキはまだ耳の立っていない本当のあかちゃんでした。タイガーはあかちゃんリキをいじめるわけでもなく、さりとて可愛がる訳でもなく、少し高い所から超然とした態度で眺めていました。
 リキの方がが次第にやんちゃになっていきます。両方の耳が立った頃、タイガーにちょっかいを出すようになりました。そんな時、タイガーはフー、ギャオーと、一応威嚇はしますが、本気ではありません。リキがたじろいだすきにさっさとどこかへ行ってしまいました。そんな日々が数ヶ月続きます。
 わが家の隣に父母の家があります。そこに、コテツと名付けられたオス猫がいました。じゃりんこチエに出てくる、眉間に三日月型の傷があるニヒルなやくざ猫と同じ名前です。しかし、こちらのコテツは、完全名前負けで、期待したニヒルでカッコいい猫にはならず、デブデブ太り、寝てばっかりいるダレ猫になりました。
 そのコテツがまだ子猫の時のことです。すでに体の大きさは一人前になっていたリキがコテツを追いかけました。タイガーがその様子を10mぐらい離れた所から見ていました。タイガーとコテツは親子でもなんでもありません。とくに仲が良いわけでもありません。隣の子猫ぐらいにしか思ってないはずです。ところが、コテツが追いつめられて、ギャーと言った瞬間、タイガーが猛然と走り、そして風切り音をあげて飛びました。必殺仕置き人が抜き身の刀を横に払ったシーンをスローモーションで見ているようでした。子供を守るため犬と戦って死んだ母親シャミーの怨霊が乗り移ったのかもしれません。
 リキがハタと立ち止まりました。そして腰を落とした姿勢でツツと後ずさりをしました。びっくりしたような目をしています。そして、シェパードの黒い大きな鼻に横真一文字に赤い筋が見えました。そこからみるみる血があふれてきました。大きな鼻が、タイガーの抜き身の爪で一刀のもとに斬られたのでした。タイガーはまだ攻撃の手を緩めていません。大きなシェパードが後ろを向いて肩を落としてこそこそと逃げ出しました。門のところまで逃げると背中を向けておすわりをし、石のように動かなくなりました。夜までそこでじっとしていたのです。日本刀で鼻をざっくり斬られたのです、さぞかし痛かったのだろうと思います。
 それから、しばらくの間、タイガーが側を通るとリキは決まって門の所まで行って石になりました。
 そのうち、リキがタイガーの側を通ることにはお許しが出たようですが、いちリキの時代はタイガー絶対優位でした。
 にリキの時代、少し様子が変わってきます。とってもお人好しみんな大好き、にリキに、タイガーは「犬にもええやつおるな」と思っていたようです。
 さんリキの時代、タイガーはおばあさんになっていました。
 さんリキは乱暴ものです。時々タイガーのお尻を鼻でこついていました。タイガーはウギャーと怒っていましたが、攻撃することはありません。でも、タイガーが昼寝をするソファーにリキが座ることは最後まで許可は与えなかったのです。

  鼻を切られたシェパード

 猫であるはずのタイガーは、とても、猫とは思えない娘に育っていきました。まず普通の家猫のように、ヒトに媚びることがありません。もちろん、お腹が空いた時は、飯をよこせと堂々と対等に要求します。しかし、冷蔵庫から、気に入らないものが出てくると、本当に猫またぎをします。冷蔵庫の臭いの移ったじゃこなどは、見向きもしません。というより、最初から、今日は「ひらめの縁側が良い」とか、「あじの開きが食べたい」とか「たまには、あっさりと長芋のたいたん」とか決めているようでした。今日はうまいものがなさそうだと判ると、自分で調達に行きます。狩りの腕前はなかなかたいしたもののようでした。
 タイガーが初めての狩りに成功した朝のことです。目をギラギラ輝かしたタイガーが小鳥をくわえて、さも得意そうに見せに来ました。わざと生かせてあります。グアオー、ばたばたする小鳥を床において、ギラリ・ニタリとこちらを見ました。サチコは「キャーやめてタイガー」と叫び、小鳥をくわえたままのタイガーの首をつまんで、玄関に閉じ込めました。しばらく物音がしていましたが、やがて玄関は静かになり、舌なめずりをしているタイガーのほかは羽とくちばしだけが散らばっていました。
 せっかく大手柄をたてて、みんなに見せに来たのに、このとき彼女のプライドは、ずいぶん傷ついたようです。
 それから、2-3日後のことです。突然、トイレの中から「ギイヤー」「イヤー」「ワアー」と、ほとんど断末魔のような悲鳴がしました。タイガーが傷ついたプライドの腹いせに、トイレのマットの下に蛇を隠しておいたのです。30cmばかりのヤマカガシです。まだモゾモゾ動いていました。
 しばらくの間、トイレのマットの下にはおよそ人間のメスが嫌うすべてのものが隠してありました。トカゲ、ヤモリ、ムカデ、ゲジゲジ、クモ、ネズミ、ジュゲムジュゲム、魑魅魍魎。タイガーはこれらのゲテモノは決して食べません。明らかに、人間のメスを怖がらせて楽しんでいたようでした。
 タイガーの野生がどんどん磨かれて行きます。犬は自分で訓練をすることはありませが、どうやら、猫は自分でトレーニングプログラムを決めて挑戦をしているようです。いちリキもさんリキもジャンプは大得意ですが、犬が一人でジャンプの練習をしているところは見たことがありません。わが家の天井の近くに、目的のよく判らない棚があります。どうも建築家がデザイン上の気まぐれで付けたようです。目的がよくわからないので、たいていは何も置かれていません。タイガーがこれに目を付けました。最初は机やソファーの上から飛び上がります。次第に踏切場所を低い所に移していきます。最後には床からダイレクトにジャンプをすることができました。3mの高さです。なぜ飛び上がるのかだれにもわかりません。どう考えても挑戦とトレーニングです。タイガーの日頃のトレーニングは完璧なサーキットトレーニングでした。走る、壁に爪を立て床に背中を滑らしたタイガー横走り、すごいスピードです。途中で高い棚までジャンプ、ヒトの手や足を獲物に見立てて攻撃。ランニング、跳び箱、鉄棒、ダッシュ、スポーツ選手のサーキットトレーニングと同じです。
 あるとき、窓から見ていると、キジバトの夫婦が庭で餌をついばんでいました。草刈りのあとには草の実がばらまかれているのでしょう。鳥たちが集まってきます。キジバトは、草の実を食べに集まってくる鳥の中では最大で、わが家の周りに生えているネズミモチに巣がけをしている夫婦です。目を移すと、その後ろ5mの刈り残しの草むらの中にタイガーが伏せていました。タイガーの毛色はブッシュの中では完全な保護色でよく見ないと気づかれません。一つの動作から次の動作まで30秒はかけて、じれったくなるぐらい、ゆっくりと慎重に、獲物に近づいて行きました。距離が2mになりました。タイガーのジャンプとキジバトが飛び立つのが同時でした。タイガーの爪がキジバトの肩甲あたりに触れたように見えました。キジバトのバランスが崩れ、羽が飛び散りました。やったーと思いましたが、そこまででした。キジバトは飛び去り、タイガーは地面に落ちました。猫が狩りに失敗した時は面白い行動をします。そこらにある石や木切れを持って、あたかもそれが獲物であるように、空中に投げたり捕まえたりします。ちょうど、お手玉をしているような光景です。どう見ても照れ隠しとしか思えません。その様子を見られていたことを知ったタイガーは、こちらの顔をじっと見ました。そして、ますます照れて、ワオーとどこかへ行ってしまいました。その後もタイガーの大物狙いは続いたようです。くちばしで突かれたのでしょう、目の上に穴があき、膿みが出ていることもありました。
 さて、タイガーのこんな最も血気盛んな時にいちリキがやってきました。タイガーにとっては、犬は親の敵です。少し心配しました。でもリキはまだ耳の立っていない本当のあかちゃんでした。タイガーはあかちゃんリキをいじめるわけでもなく、さりとて可愛がる訳でもなく、少し高い所から超然とした態度で眺めていました。
 リキの方がが次第にやんちゃになっていきます。両方の耳が立った頃、タイガーにちょっかいを出すようになりました。そんな時、タイガーはフー、ギャオーと、一応威嚇はしますが、本気ではありません。リキがたじろいだすきにさっさとどこかへ行ってしまいました。そんな日々が数ヶ月続きます。
 わが家の隣に父母の家があります。そこに、コテツと名付けられたオス猫がいました。じゃりんこチエに出てくる、眉間に三日月型の傷があるニヒルなやくざ猫と同じ名前です。しかし、こちらのコテツは、完全名前負けで、期待したニヒルでカッコいい猫にはならず、デブデブ太り、寝てばっかりいるダレ猫になりました。
 そのコテツがまだ子猫の時のことです。すでに体の大きさは一人前になっていたリキがコテツを追いかけました。タイガーがその様子を10mぐらい離れた所から見ていました。タイガーとコテツは親子でもなんでもありません。とくに仲が良いわけでもありません。隣の子猫ぐらいにしか思ってないはずです。ところが、コテツが追いつめられて、ギャーと言った瞬間、タイガーが猛然と走り、そして風切り音をあげて飛びました。必殺仕置き人が抜き身の刀を横に払ったシーンをスローモーションで見ているようでした。子供を守るため犬と戦って死んだ母親シャミーの怨霊が乗り移ったのかもしれません。
 リキがハタと立ち止まりました。そして腰を落とした姿勢でツツと後ずさりをしました。びっくりしたような目をしています。そして、シェパードの黒い大きな鼻に横真一文字に赤い筋が見えました。そこからみるみる血があふれてきました。大きな鼻が、タイガーの抜き身の爪で一刀のもとに斬られたのでした。タイガーはまだ攻撃の手を緩めていません。大きなシェパードが後ろを向いて肩を落としてこそこそと逃げ出しました。門のところまで逃げると背中を向けておすわりをし、石のように動かなくなりました。夜までそこでじっとしていたのです。日本刀で鼻をざっくり斬られたのです、さぞかし痛かったのだろうと思います。
 それから、しばらくの間、タイガーが側を通るとリキは決まって門の所まで行って石になりました。
 そのうち、リキがタイガーの側を通ることにはお許しが出たようですが、いちリキの時代はタイガー絶対優位でした。
 にリキの時代、少し様子が変わってきます。とってもお人好しみんな大好き、にリキに、タイガーは「犬にもええやつおるな」と思っていたようです。
 さんリキの時代、タイガーはおばあさんになっていました。
 さんリキは乱暴ものです。時々タイガーのお尻を鼻でこついていました。タイガーはウギャーと怒っていましたが、攻撃することはありません。でも、タイガーが昼寝をするソファーにリキが座ることは最後まで許可は与えなかったのです。

 2008-09-05

 

 

 

リキ物語 第3話 パトカーに乗ったリキ

シェパードは大きく、その力もかなりなものです。犬歯などそばで見ると、もしこいつに反乱を起こされたらとゾーとすることがあります。犬をコントロールする自信の無い人はこの種類の犬は飼わない方がよろしい。では、訓練士に頼めば良いかというと、どうもそれだけではうまくいかないようです。昔々、私が豊中高校に通っていたころ、うちに五郎と言う名のエアデルテリアがいました。鎌倉時代の敵討ち物語、曽我の五郎・十朗の名前をとったので漢字で五郎と書きます。五郎は完璧なまでに塾通いをしていました。訓練士がついてかなりの高等教育まで受けたはずです。確かに、訓練士といれば完璧に訓練を施された犬でしたが、訓練士にまかせっぱなしで、だれも一緒に訓練をしたわけではないので、家族の言うことはほとんど聞きません、家では勝手気ままでした。それ以来、わが家の犬は塾へ行っていません。
 同じシェパードでも、いちリキ、にリキ、さんリキと性格は微妙に異なります。犬をトレーニングする場合、抑制をかけることと、能動的に何かをさせることの二つの方向性があります。例えば、おすわり、ふせ、まて は抑制命令ですが、行け、ジャンプ、ファイトは能動命令です。
 にリキは、とってもお利口で抑制命令は完全なまでに遂行しました。ボールを投げて、行け、20m位全速力で走った所で、止まれ。急停止をします。さんリキはこうは行きません。いったんGOというと最後まで行ってしまいます。にリキは東大、さんリキは早稲田中退と言われる理由はここにあります。止まれが効かないと、時には危険ですから、さんリキにはほかの命令で対処することにしました、走りだしたところで、回れ右!。バスケットボールの選手のように180°方向を変えると一目散に帰ってきて、私を過ぎて15m位後ろまで駆け抜けます。回れ右はさんリキの得意な能動命令のようです。
 そんなわけですから、にリキは待ってと言われると、いつまでも待っていました。ただし、こちらがそれほど抑制の効く人間ではないので、30分以上は試したことはありません。人通りの多い午後5時頃の千里中央の本屋さん前で、すわって待って、私が本を買って出てくるまで、リードなしにじっと待っていました。いや、リードを付けていないと、危ないと怒る人がいるので、リードは付いているように見えますが、本当はどこにも結ばれてはいません。その端はリキがお尻の下に敷いているだけです。
 ある冬の夜、9時は過ぎていたと思います、近所の公園でにリキを滑り台に登らせ、30分待ての訓練をしていました。こちらは100m位離れた所にいます。これはこちらにとってもかなりつらい訓練で、寒い・退屈この上ありません。30分たって小声で「来い」。犬は人間の何倍も音が聞こえますから、大きい声を出す必要はありません。ところがこの直後、ギャーアーと悲鳴がしました。びっくりして走って行こうとしましたが、リキはまっすぐこちらに向かってきます。リキにリードを付け、滑り台の所に行くと、小さい犬をつれたおばさんが、腰がぬけたようにしゃがんでいました。無理もありません、暗闇の空中から突然、オオカミ男が飛んで出てきたのです。平身低頭。
 お勉強のときにいい子であることと、日頃の生活態度が品行方正であることとは違います。いちリキもさんリキも、勝手に家を出て行ったりすることは皆無でした。山へ行っても人の見えるところから離れることはありません。にリキは違いました。訓練で「ついて」と言われると、ぴったりと人の左側をバキンガムの近衛兵のように同じ歩調であるきます。ところが訓練が終わるとフラフラとどこかへ遊びにいってしまいます。友人の“灘高卒東大”にもこんなのがいました。もちろん、近くにいる場合は呼べばすぐ来ます。「訓練」と言えばすぐ訓練モードにもどります。しかし、声の届かない所に行ってしまうとお手上げです。
 にリキのもう一つの特徴は、みんなお友達です、人でも犬でも猫でもすぐお友達になりました。一応番犬ですから、初めての人が玄関に来たときは吠えていましたが、中に入ってくるとすぐ仲良しです。幸い、この秘密は泥棒団に知られることはなく、ご近所が軒並み泥棒団にやられた時もわが家は無事でした。念のために申し添えますが、今リキは決してそんなことはありません。無断侵入者には、警告を発することなく攻撃するかもしれません。泥棒様、御注意ください。
 さて、にリキの、誰でもお友達みんな大好きお人好しに、最初に気づいたのはヨットハーバーでした。リキはまだ少年です。ヨットハーバーは家から車で3時間、三重県五カ所湾にあります。私がヨットの整備をしている間、側にいたはずのリキの姿が見えません。しばらく大声で呼びましたが帰ってきません。しまったと思いました。家から何百キロも離れた場所で主人と離れ、苦労の末、やせ衰えて、わが家にたどり着いた名犬の物語を思いだしていました。しかし、そのような状況になって家にたどり着ける確率は極めて低いはずで、事故の危険性の方が遥かに高いとも考えていました。通って来た道のほとんどは高速道路です。もし、臭いをたよりにナビゲーションをすると、高速道路を通ることになります。犬の臭いの感覚は人間の1000倍とも5000倍とも言われます。犬は臭いの記憶をたどることができます。人が映像と言葉で思考を形成しているのに対し、犬は臭いでも思考が形成できるといいます。臭いの記憶をたどって行けば、三重県の五カ所から家までナビゲーションができるかもしれません。どのリキも、伊勢道の安濃サービスエリアが近づいたら5km先からわかるようです。いつもそこで休憩とおしっこをすることを知っています。帰りは、万博公園で、家が近いことを知り、そわそわ、わいわいと騒ぎが始まります。三匹リキとも同じです。
 さて、にリキを見つけねばなりません。念のため、車を来た方向に20分ほど走らせて見に行き、ハーバーに帰ってきた時、入り江の向こう岸にリキの姿が見えました。呼ぶと、一目散にかけて来て、「面白かったよ」と言いました。犬が大好きなコマイさんと山へお散歩に出かけていただけなのです。でも、リキとコマイさんはその時が初対面です。
 家へ帰って来てからも、次々と事件が発生します。猫のように誰も気にしなければ、そのうち家に帰って来たのでしょう。しかし、リキは大きくて目立ちすぎます。何らかの形で人様のお世話になったようです。ある時は、犬大好きのおじさんのお家へ上がり込んでお茶を飲んでいました。探し回って、やっと迎えに行くと、おじさんニコニコ笑って「またいらっしゃいね」。なぜか、そのうちご近所にリキさん情報網が確立したようで、必ずご近所の犬好き、犬情報通のお家に連絡が入り、犬を飼う時の心構えとおしかりの言葉を添えて、わが家へ連絡がくるようになりました。
 あるときは、中学校の先生から連絡が入りました。公園を越えて高校を越えてさらに道路を渡り向こう側の校庭で子供たちと遊び、教室までついて入ったそうです。またまた、平身低頭で迎えに行くと、もちろん先生からは大目玉ですが、子供たちからは「エー、もう帰るの、またね」と言われていました。
 こちらも、次第に逆戸締まりに気を付けるようになり、脱走事件も少なくなり、もう大丈夫と思ったころ、またまたリキがいなくなりました。まず、犬大好きおじさんの家へ電話をしました。「お茶に伺っていませんでしょうか」、いません。しかられるのを覚悟で、お犬様情報網へ、まだわかりません。公園を越えて向こうの中学校の職員室へも行きました。
 とうとう、三日目です。最近は見ませんが、昔の野犬狩りを思いだしていました。子供の時に見たことがあります。針金の投げ縄を、犬の首にかけて、犬を捕らえます。首に投げ縄がかかった犬は空中に放り投げられ、ドサと地面に叩き付けられます。かなりのショックのようで、犬はキャーンと言ったきり、動けなくなり、檻に投げ入れられたあとはすっかり怯えた罪人のようでした。私が子供の時に飼っていたスピッツのユキが、野犬狩りに捕われました。管轄は保健所で、飼い主がおそれいり貰い受けに行きます。真っ白な、美人ユキはすっかりやつれ、違う犬かと思いました。ほかにも当時は、私的犬捕りもあったそうです。こちらは、肉や皮が目的のため助からないと聞きました。
 そこで、保健所へ電話。最近は野犬狩りはほとんど行っていないとのことです。「ここ2-3日はこの近辺では絶対行っていません。」「拾得物として警察にいることが多いですよ」とも言われました。
 警察署へ電話、どうも大型犬の拾得物が一件あるようです。飛んで警察署へ行きました。リキです。警察署の裏庭につながれていました。相変わらず、ニコニコ笑っていました。最初、「ご本人の持ち物かどうか確認を」と言っていた拾得物係のおまわりさんも、リキの喜ぶ態度ですぐわかったようでした。
 おまわりさんの話では、小学校の近くに大型犬がうろうろしているので危険だと110番があったそうです。パトカーが出動しました。校門の前にシェパードがいました。おまわりさんがパトカーからおりました。後部座席のドアを開いたとたん、シェパードが自らパトカーに乗って、ドカと座ったそうです。
 大目玉を食らうか、下手をすれば、「なんとか条例違反で、10万円の罰金」と覚悟して行ったのですが、最後におまわりさんがいいました。「もう帰るのかい、またおいで」わずか、二日間でリキはおまわりさんとも大仲良しになっていたようです。

 2008-09-05 

 

 

 

 

リキ物語 第2話 タイガー 

第2話 タイガー誕生
タイガーは猫です。シェパードのリキ物語とは関係ないと思われるかも知れませんが、いちリキ、にリキ、さんリキの三代の物語に頻繁に登場し、三匹のリキの人格(犬格)形成に多大の影響を与えた猫として、物語に登場しないわけにはいきません。徳川三代にわたって登場する春日局のような存在です。
 シャミーという名のとっても美人のシャム猫がいました。信長の妹、おいちはきっとシャミーみたいな美人だったのだろうと勝手に想像しました。その娘がタイガーです。シャミーのもとに通ってくるおっとりとしたシャム猫の雄がいました。よそさまのお家ではちゃんとした名前があったのでしょうが、あまりに大きな袋をぶらぶらとぶらさげているものですから、大きな声ではいえませんが、わが家ではキンタマニーという名前で呼ばれていたのです。タイガーたちが生まれたとき、父親もシャムだから、シャムが生まれてくるのだと思っていましたが、5匹みんな毛並みは違いました。確か、猫の子供は同時に妊娠した子供でも父親が違うことはあると聞きました。その中で最後にうまれたのがタイガーです。タイガーは、私どもの専門用語でいう新生児仮死でした。しかも胎齢に比べて小さい子宮内発育遅延です。人間の場合も、あかちゃんが複数いる場合、あとで生まれてくる子供の状態はどうしても悪くなります。子宮内での酸素や栄養の配分が悪く子宮内発育遅延になっている子供の場合はなお状態が悪くなります。タイガーはまさにこの悪条件が重なっていました。生まれたあとも泣きません。ぐったりとなんの動きも見せません。その時はトミーと二人でお産を見ていたのです。トミーは私の息子でその時小学校4年生でした。分娩後30秒ぐらいが経過しました。人間のあかちゃんでも、無呼吸でなんの反射もなく30秒経過すると危ないかも知れません。トミーが泣きそうな声で「どうしょう」といいました。実は手は出すまいと思っていたのですが、トミーの半泣き顔を見て何もしないで済ませなくなり、昔の産婆がやるように足を持って背中をたたきました。
驚いたことに、しぼるような声でワギャーと声をあげました。
 実は、あかちゃんを逆さつりにし、背中をバンバンとたたく新生児の蘇生方法は、テレビドラマなどでは今でも行われていますが、最近の臨床現場ではあまり行いません。気道の分泌物を吸引し、人工呼吸用のマスクを使うか、もしくは気管に管を入れて人工呼吸を行います。たまに、よその施設でクラッシックなトレーニングを受けた研修医が背中をバンバンやったりすると、「オイオイ、昔の産婆みたいなことするなよ」とたしなまれます。正直言って、私があえて古典的な方法で蘇生をしたのは、何かしたことをトミーに見せるためだったのかもしれません。ところが背中バンバンが見事に効果を発揮して、ワギャーだったので、やった本人が驚いてしまいました。
 タイガーの声帯にはこの時に何らかの異変が起きたようです。しばらくは声がでません。しぼりだすように小さくギューアと言います。猫のように可愛くニャオーとかミューとか鳴くことは一生ありませんでした。いつまでたってもワオーとかギャオーとかいいます。「タイガー、猫でしょ、ニャーンと言ってごらん」「ギャオー」「それじゃ豹でしょ、ニャオーと言いなさい」「ワオン」。「それじゃ犬でしょう」タイガーの豹のような、山犬のような鳴き声は一生そのままでした。
 当時わが家は新築直後です。家が予算を少々オーバーしたので、門とか塀とかがありません。しかも住宅が閑散とした山のようなところで、野犬や狐や狸がうろうろしていました。シャミー一家は台所の前の納戸の中にダンボール箱がおかれ、その中で暮らしていました。子猫たちがちょろちょろと走り回るようになったある夜中のことです。野犬の群れが襲いました。私は病院の当直で留守にしていたのですが、10匹近くの群れだったそうです。リーダーらしい犬は黒犬で首に白い鎌のような模様があったと言います。連絡を受けた私は次の日の朝、同僚に早出をお願いして見に帰りました。その時わが家にはウサギもいたのですが、どこにもいません。家の周りを探していると、シャミーの死体が見つかりました。目立った傷はありませんが、固く結んだ口が戦いのあとを残していました。こども達を守って戦って死んだようです。敏捷なシャミーでしたから、一人だったら必ず逃げおおせたはずです。子猫の死体が一匹だけ見つかりました。ウサギも残りの子猫も餌食になってしまったようです。
 腹立たしい思いで二日ほど過ごしました。その間にわが家には、木刀と子供のときによく遊んだパチンコが用意されていました。木の又に飴ゴムを結びつけ、小石やパチンコ玉を発射する装置です。犬では死ぬことはないでしょうが、かなりの衝撃を与えるはずです。
 そして、襲撃があってから二日目、積んであるタイヤの中からかすかなギュアオと変な鳴き声がしました。一番ちびでみすぼらしい、黒みがかった虎猫、そうタイガーだけが助かったのです。小さかったタイガーは襲撃事件の時、声を出さず、逃げ回らず、4本積んだタイヤの一番底でじっとしていたのです。以後、タイガーには正式にわが家の市民権が与えられました。本当はタイガーの名前が与えられたのはこれ以後のことです。
 もともと、シャム猫は野生の強い猫です。タイガーは、からだはきゃしゃなままでしたが、とても敏捷な猫に育っていきました。床から3メートルの天井近くにある棚まで一気に飛び上がります。キジバトに飛びかかるのを見たことがあります。こちらが手でじゃれさすと、完全にけんか腰になり、手の爪と足の爪と牙をつかってこちらの手に血がにじむまで攻撃を仕掛けてきます。あまりに痛いので、こちらが本気で張り飛ばすと、飛んで逃げていきました。そして、こちらが忘れてテレビを見ているころ、「すきあり」突然、攻撃を仕掛けてきます。しかもどこから来るかわかりません。時には高い所から両手の爪両足の爪を立てて降ってきます。まさに豹です。こちらが両手を挙げて「まいったまいった」をすると、「ワオ」と言って休戦してくれました。戦ったあとは、決して恨んだりするようなことはなく、鼻をすりつけたりします。さばさばとしたものです。
 この時まだリキはいません。タイガーは公園に散歩に行ったり、山にキャンプに行って鷹に狙われたり、ヨットに乗ったり、プールで泳いだり、犬のような生活をしていました。蛇をトイレのマットの下に隠したこともあります。ご近所でもとってもかわいがられました。関西では人気のある名前のおかげかもしれません。あちらこちらの家でご飯をもらっていたようです。

 2008-09-05

 

 

 

 

リキ物語 第一話

はじめに、
 大きくて、強くて、少し乱暴者の悪源太;三リキが昇天しました。最後までプライド高く、ハンサムでした。これを機会にリキ物語はブログ版として登場します。
 まずは、第一話から順次。 いずれ、わが家には初めてのお嬢、ハナの物語へと続いていく予定です。

 

 第1話 シープハウンド
リキは由緒正しきジャーマンシェパードです。実はリキは3匹いて、ややこしいですがいちリキ、にリキ、さんリキとします。ヒトの世界では「氏より育ち」と言いますが、三匹リキとも「育ちより氏」でした。三匹ともわが家へ初めて来た日など、子犬のくせに玄関前で両前足をそろえて不動の正座姿勢ですから恐れ入りました。
しだいにわが家の家風にどっぷりそまり、どんどん自由奔放勝手気ままになりました。
いちリキの時代のことです。私の同僚が医学研究に使う山羊を注文しました。小さめのミニゴートです。めちゃめちゃ値切って注文しましたので、熊本から東京へ運ぶ途中のトラックを真夜中の3時に名神吹田のサービスエリアで受け取りました。ほとんど禁酒法時代のカナディアンウィスキーの受け渡しです。私が勤めていた施設は国立のナショナルセンターで予算はふんだんにあり、税金を湯水のごとく使っていると思われていますが、それはごく一部の研究チームであり、私のグループの実際は山羊一匹買うとなると大騒動です。山羊一匹の値段はデータ整理のために雇う女の子の月々のお手当の約3倍になります。産科の研究チームですから妊娠した山羊を研究につかいます。ところが、いざ研究になって、苦労して手に入れた山羊には胎児がいない事が判りました。妊娠山羊と言って売る方も売る方ですが、妊娠していないことが見抜けず買った産婦人科医もたいしたヤブです。小太りのご夫人で、いかにもおなかが大きいように見える山羊だったのです。いまさら仕方がないので、人工心臓の研究をしているグループに提供しました。動物手術室と動物集中治療室を借りている関係で恩を売る必要があったのです。その国立研究機関は人工心臓の研究では世界としのぎを削っており、使用する動物も厳選された動物を使います。由緒正しいとは決して言えない非妊娠山羊君には、世界をリードする研究の栄誉は与えられなかったようです。あとで、知ったことですが、輸血用血液の提供者として過ごしました。この逆境にもめげず山羊君は生き残りました。ふらふらになりつつも、飯をバリバリ食べ、ほどなく、動物舎からわたしのもとに月3万円の飼料代の請求書が届きました。
  わが家は、ほとんど山のような所にあります。下草はボウボウで草刈りにほとほと手を焼いていました。
  山羊君を連れて来れば、根こそぎ草を食べてくれて、飼料代は払わなくて済み、草刈りの労働からは解放されるに違いないとも期待しました。
  ところが、期待に反して山羊君が食べたのは、木の新芽でした。少しは庭らしくと園芸店で一株2,500円も出して買った山茶花や沈丁花は一日で丸坊主になりました。ミニゴートですから上の方の新芽は大丈夫と思ったのも誤りで1週間もすると、およそ私の目の高さから下の葉っぱは全てなくなりました。ちびのくせに背伸びをして木によじ登り新芽を食べるのです。羊族の放牧によりサハラ砂漠が出来たという仮説は実験的に証明されたのです。そういえば、地球ふしぎ大自然に出てくるサバナは灌木がない所でも草はあります。まず最初に灌木がなくなるようです。
 迷惑をしたのは、リキとて同じことでした。まずリキの小屋が占拠されました。いちリキは外で寝起きをしていました。
  リキ小屋には、探しまわって知り合いの農家から手に入れたわらが敷き詰められていました。すでにクボタサナエちゃんやヤンマーコンバインが普及し、稲刈りあとのわらを干す光景は見られなくなっていましたから、寝わらは貴重品です。
  まずその寝ワラが食べられました。悪いことに草食動物の常として食べながら排泄物を垂れ流します。
  犬族は結構きれい好きで、排泄は自分の生活空間からできるだけ離れた所で用をたします。今は排泄物を公共の場におきっぱなしにすることは御法度ですから、ご主人様は散歩の一番遠い所から、お犬さまのおものを、我が家まで運ぶことになります。
  いちリキは山羊君の寝わらの上へのたれ流しにはほとほと困り果てていました。剛胆に放尿する山羊君をあきれた顔をしてあぜんと眺めていました。
  しかし、追い払うわけでもなく、先祖の大陸オオカミに昔帰りをして食うわけでもなく、2週間ほどの時が流れました。ある日、門の扉が開きっぱなしになっていたようです。
  ふだんは、いちリキは外に出ても、電信柱2~3本におしっこをかけ、縄張り確認が終わったら帰ってきます。ところがその時は山羊君も出てしまったようです。シェパードの遠い先祖は牧羊犬であり、大陸オオカミのDNAを少しまぜ、ドイツで軍用犬として改良されました。シェパードはシープ(羊)ハウンド(犬)の発音がなまったものです。
 出ていった山羊君の後を追い、先祖帰りをしたシープハウンド、リキのエスコートが始まりました。何世代も経過したはずなのに、昔々のおじいちゃんが受けた訓練を覚えているなんて、環境因子は遺伝に関与しないという現代科学の大原則に反する行為です。2匹の行方不明が明らかになり、人々の追跡が開始されました。
「山羊を連れたシェパードを見ていませんか」見た人は「いたいた、30分ぐらい前に中央環状線のほうに歩いていったよ」。
  見ていない人、怪訝な顔で「なんですかそれ」、いちいち説明するのも大変なので、「いえいえ別に」とパス。
  結局、リキと山羊君は半径3kmぐらいの円を描き、交通量のむちゃくちゃ多い中央環状線の、ちゃんと歩道を通り、信号を渡って、ファミリーレストランの前で2匹でおしっこをし、私の妹の家の前に来ました。
  リキがとても困った顔をして窓から中をのぞき込んでいたそうです。
「あんたら何してんの」
「家へ帰ろうよ」と言ったら、リキが「うん」と言って妹に付いて帰ってきました。山羊も後からついて来たそうです。  その後、山羊君は移動動物園へ引き取られ、幼稚園のこどもたちの相手をして幸せに一生をすごしました。考えてみれば、とっても強い運の持ち主です。いちリキも大型犬にしては長生きしました。にリキも、さんリキも、いちリキとは直接の血縁関係はありませんが、顔もすがたかたち、する事もとってもよくにてます。
にリキは東大卒みたいな犬で、とってもおりこうで繊細でした。公園で自分で拾ってきた雄猫を弟分にしました。
 さんリキは、兄弟のうち末っ子が一番甘やかされるの原則で、わんぱく放題し放題で育ちました。
 もうじき、人間も含めて、わが家ではめずらしいお嬢 ”はな”が福岡から全日空に乗ってやって来ます。

2008-09-04